男の肖像
〜小説・太史慈伝〜
〔六〕太史慈はいかにして孫策の配下になったか
正史に言う。
「孫策は、自ら太史慈の討伐を行い、結局、太史慈は捕虜となった」と。(ちくま学芸文庫版・太史慈伝より)
その戦いが、正確にはどこで行われたか、どういう経緯を辿ったのか。そのあたりはきれいさっぱり省略されている。
ただまあ、確かなことは。
太史慈が、捕まってしまったこと。
そして。
「…うわーこいつ、まだ暴れてやがる!」「熊かこいつは!」「縄持って来い、縄!!」
しっかり、縛り上げられてしまったということである。
もちろん、潔く降伏し、形式的に縄をつけられたと考えられなくもないのだけれど…、雑兵どもに取り囲まれながらも、最後までじたばた暴れまくったという方が、なんとなくこの人物にはふさわしいような気がする。
ぐるぐるに、しばりあげられて。
…あああ。俺も、これまでか!!
さすがに、太史慈も、覚悟を決めた。
…やっぱ。俺。殺される…んだよなあ?
孫策って奴は乱暴だっていうし。うん。俺の獲った雉を横取りしようなんて根性の悪い奴だ、きっと俺を生かしておこうとはしないに違いない。
・・・・・。
…死んだら、どうなるんだろ?
これまで、太史慈は、そんなことは考えたことがない。ちらとそれが頭に浮かぶと、急に、腹の中がすうーっと冷えて行くようで。
「こら!さっさと歩け!」
横を歩いていた雑兵に蹴飛ばされ、太史慈は、よろめいた。
…いかん。
こんなこと考えたら…怖くなってきそうだ。うん、考えないようにしよう。
あれだもんな。死に際にじたばたするなんてのは…格好悪いもんな。最後の最後に格好悪いなんて…、情けないからな。…
そうは思っても、ついつい頭はそちらの方を向いてしまう。
…駄目だ!
くそ、情けないぞ、太史慈!項王は、最後まで格好よかったのに!「同郷のよしみでお前にこの首をやる」とかって!あれでこそ、漢じゃねえか!
そうだ。
俺も最後に何か格好良いことを言って…
ええと…
戦国時代の日本の武将なら、さしづめ「辞世の歌」とか言うところであるが。
とにかく気持ちを紛らわせようと、太史慈は、最期の一言を、一生懸命作文し始めた。
…「男なら天下を獲るべきなのに、志半ばで果てるとは…」、うん。こんなところかな。いや、「男」じゃちょっと、弱い気がする。何かもっと格好いい言葉はないかなあ。ええと…、士?いやちと語呂が悪いぞ。そうだ、「大丈夫」!これでいこう。大丈夫たる者、…天下を獲るもちとあっさりしすぎだよなあ…。他に…他に…
「大丈夫たる者、世に生きては、七尺の剣を帯びて天子の階を升(のぼ)るべきものを、いまだその志も果たさぬままに、このようなところで死なねばならぬとは!」
孫策の前に引き出される頃には、無事、太史慈の中で、辞世の文句が出来上がっていた。
「おう!あの時の、狩やってた奴!」
地べたに、引き据えられたところで。
頭の上から降って来たのは、予想外の陽気な声だった。
「ほらな、徳謀!だから言ったろ、あれが絶対太史慈だって!」
びっくりして目をあげると。
からりと笑みを浮かべた、あのときの雉泥棒と、
「はあ…」
どんな顔をしていいのやら判らぬといった風情の、厳しい中年の武将。
雉泥棒…孫策だ…の傍らでは、まだ子供といったほうがいいような若者が、それでも一応武装を整え、これはどういう生き物だろうとでもいいたげに、おおきな目でまじまじとこちらを見つめている。
…なんか…、雰囲気が…
もっと、こう。
降伏した武将を裁く…、厳しい雰囲気を想像していたのに。
…こんなとこで「大丈夫たる者」なんてやっても…、なんか、場にそぐわないっていうか…
なんだか誰も感心してくれそうになくて。太史慈は、困った顔になった。
「おい!その縄、解いてやれ!」
弾むような足取りで、孫策が近づいてくる。縄尻を取っていた雑兵が、慌てて、縄を切り払った。
…殺されるんじゃ、ないのか…?!
曲りなりにも、死ぬ覚悟を固めていたのである。太史慈は、ますます、どうしていいのやら、わからなくなった。
ぐいと、手をとられて。
見上げれば…そこには、太陽のような瞳。
「…殺すんじゃないのか?」
単刀直入に訊いてしまうあたりが、太史慈であり。
「ああ」
あっさり答えてしまうあたりが、孫策であった。
ぱちぱちと瞬きをする、太史慈に。
「神亭のこと、覚えてるだろ?」
爽やかな…初夏の風のような声が言う。
覚えている。覚えているとも。俺の雉と手戟を横取りしやがったんだ、こいつ。
「もしお前があの時俺を捕らえていたら、どうした?」
どうもこうもない。
「そら…俺の雉を取り返して…」
正直に、ぼそっと言いかけて。はたと、太史慈は、沈黙した。
…い、いかん!これは…、これでは食い意地の張ったバカに見えてしまう!!
孫策が、吹き出した。
…あ゛ー。折角、格好よく決めようと思ってたのに!!
「気に入った!気に入ったぜお前!!」
ばんばんと、肩を叩かれ、面白い奴だと言われても。太史慈は、全然、嬉しくない。
「んじゃ。俺が、手本を見せてやるな!お前は今日から俺の門下督だ!」
「門下督?!」
それは…、それは、こいつに仕えろってことかい、おい。
「おう!豪傑は豪傑を知るってやつだ。なあ?」
太陽のような笑顔が、まっすぐに、のぞきこんでくる。太史慈も、釣り込まれるように、笑顔を返していた。
…なんだ。こいつ。
いい、男じゃねえか!…
「子明!」
「はいっ!」
元気のいい、返事がして。ぱたぱたと、おおきな目のわかものが、駆け寄ってくる。
「あとのことは、こいつに聞け。俺は他の奴らのことで忙しいから…」
「あ」
他の奴ら。
祖志や…、自分と一緒に戦った連中のことを、うっかり忘れていたことに気づき。太史慈は、慌てた。
「あいつらは…、あいつらはどうなるんだ?」
「ん?」
…大変だ。ここであいつら見捨てたなんてことになったら…
「俺だけ、助かって、あいつらが殺されるんじゃ、…俺の男が立たねえ!」
呆れたように、この場の顛末を見守っていた、孫策配下の武将たちが、ほお、という顔になった。
「あいつらは、…漢朝の税を払ってたら食えなくなっちまうから、しょうことなしに立ち上がっただけなんだ。んな、悪い奴じゃねえんだよ。なあ、あいつらも、何とかしてやってくれよ、あんた…」
…あ、そうか。
「じゃねえや、殿!」
…配下に、なったんだから。こう、言わなきゃいけねえんだよな。
孫策が、また、爽やかに笑う。
「それでこそ、子義だ」
俺の目に狂いはなかったろうと、配下の武将を振り返り。配下の武将たちも、肯いた。
「心配するな。俺に従うというなら、悪いようにはしない」
きっぱりと、請合って。孫策が、踵を返す。
いい、男だなあ…。格好いいってのは、ああいうのを言うんだよな。
その後姿を、太史慈は、惚れ惚れと見送った。
「格好いいでしょ、殿は」
傍らで、おおきな瞳の少年が、にこにこと言う。
「俺、呂蒙…、呂子明って、いいます。えと…」
「太史慈。字は、子義だ」
なんだか、まだ。何もかもが、現実の出来事ではないような気がして。
世界が自分の周りで、くるくる廻っているような気がして。
こういうときは…
「…とりあえず、何か、食べますか?食べながらでも、話、出来るし…」
どうして判ったのだろうと、太史慈は、不思議に思った。
孫軍が、呉に、戻って。
中郎将に任命された太史慈につけられた兵は…
「祖志!」
「子義どの!」
申し訳なさそうな顔で、祖志が、駆け寄ってきた。
「すいません子義どの、…縄目の恥なんか受けさせちまって。俺ら…」
「んなことは、いいって。ここは食い物もいいし。あ…」
お前らちゃんと食わせてもらってるかと、太史慈が、ふと、心配そうな顔になる。祖志が、しっかりと肯いた。
「俺らも、漢族と同じように扱ってもらってます。…子義どののおかげですよ」
叛乱を起こした山越としてではなく、降った太史慈の配下という扱いだから。差別もされずに済んでいるのだと言われ。太史慈が、照れくさそうな顔になった。
「…俺は、何もしてないって…」
「でも、税のことでも。漢族と平等に扱えば…、山越も叛乱を起こしたりはしないって、言ってくれたんでしょ?俺らの習俗のことも…」
無理に改めさせようとするから反発を招くのだと、太史慈が言っていたと。俺はそんなことをするつもりはないから、安心しろと。
孫策は彼らに、そう、言ったのだという。
「俺が…?」
…俺、そんな話、したっけ?ああ…
あのとき。メシを食いながら、あの、おおきな目の少年が、「子義どのはどうやって山越の人たちとなかよくなったんですか?」なんて間の抜けたことを聞くから…、なんだか語ってしまったような気がする。
あの子。子明とか言う。殿の側仕えだとか、言ってたっけ。あの子から、殿に、話がいったんだな…
「俺…、お前らの役に立ったか?」
こっくりと、祖志が頷き。
男二人は、顔を見合わせて、にっこりと笑った。
しかし、こうなってみると…
「あの台詞、折角考えたのに、惜しいなあ…」
「え?」
「大丈夫たる者、世に生きては、七尺の剣を帯びて天子の階を升(のぼ)るべきものを、いまだその志も果たさぬままに、このようなところで死なねばならぬとは!」
年を取っていよいよ死ぬときが来たら、使おう。
太史慈は、そう思ってひとり、微笑んだ。