男の肖像
〜小説・太史慈伝〜

〔四〕太史慈はなぜ髭の手入れに熱心になったのか

「孔北海どのの使者というのは、あなたか?」
 平原の城。
 私が劉玄徳だ、と言ってあらわれた男は、どちらかというと小柄で。援軍がどうとか言うくらいだから、もっと、見るからに豪傑という男を期待していた太史慈は、ちょっと、がっかりした。
 …でも、まあ。豪傑というのなら、…そこに2人、控えてるし。
 劉備の両側には、どんぐり目の、顔半分もしゃもしゃの髭に埋まったような、ちょっと愛嬌のある大男と、それから、妙に偉そうな、おそろしく立派な髭を生やした、堂々たる男と…、豪傑の見本みたいな奴が居並んでいて。劉備に危害でも加える気なら容赦はしないぞというように、じっとこちらを睨んでいる。
 …こんなのに挟まってるから、余計、貧相に見えるのかな…
 そうはいっても、劉備は、感じのいい、気さくな男であるようで、…どこか、故郷の村長を思い出させるところがある。礼法でガチガチになったような、自分の苦手な種類の男ではないようだ。
 話を切り出しやすくしてやろうという気遣いであろう。劉備の方がまず、口を開いた。
「太史…、子義どのと、申されるか」
「は」
 一応、役所に勤めて、それなりの礼法は学んでいる。太史慈は、礼儀正しく、頭を下げた。
「孔北海どののところに、このように見事な男がいるとは聞いたことがなかったが…。」
 見事な男と言われて、太史慈の顔が、にへ〜と崩れる。…見事な男ぶりが、少々、下がった。
「…ご親戚か、何かか?」
「いえ!」
 冗談じゃない!あんなへろへろもやしみたいな男と親戚にされては、堪ったものではない!
「私は、東莱の出身で、親戚でも同郷でもございません。ただ、いささかご恩を受けておりまして…それだけです!」
「ほう」
 孔融の血縁といえば、孔子の血縁。儒教社会では、それはそれは名誉なことである。それを、残念そうにならともかく、ムキになって否定され、劉備は目をぱちぱちさせた。
 …謙虚な、男なのだな…
「それで、ご用件は…」
 北海が、黄巾軍に攻められているらしいということは、噂で聞いている。援軍の要請であろうということは、劉備にも、見当がついている。
 太史慈は、うむと頷いて、考えてきた口上を述べた。
「ただいま、管亥めが暴虐を行い、北海どのはその攻囲を受け、もはやその運命は風前の灯」
「攻囲を?」
 そこまで深刻だとは思っていなかったらしい。劉備がぐっと眉を顰めた。
「あんた、黄巾の包囲を抜けて来たのか?ひとりでか?」
 口を挟んだのはどんぐり目のもしゃもしゃの方であった。立派な髭の方が、そちらを、たしなめるように睨む。だが、太史慈が頷いてみせると、二人は揃って、感心したような顔になった。
 …これは、ほんとのことは絶対、言えねえな…
 あとで何か考えよう。そう思いながら、太史慈は、口上を続けようとしたが、
「もしや傷を負われているのでは?」
 太史慈が、妙に尻を庇うふうであるのに、劉備が気づいた。…しかし、まだ、つくべき嘘は、考えていない。太史慈は、慌てた。
「いや!私のことなど、どうでもよい」
きっぱりと言い切って口上を続ける。その様子は、我が身のことなど眼中にないというように見えて、劉備は感歎の声を洩らした。
「あなたさまは仁義を行われることで名も高く、決して他人の危急を見過ごしにはされぬということでございます。北海どのは、心からあなたさまのお名を慕い、そのお心にお縋りせんと、私めを遣わし、敵の白刃をかいくぐり、包囲を突破し、ご自分の生命をあなたさまにお託しするとお伝えするように命じられました!」
「なんと!あの北海どのが、そこまで私を買っていてくださったとは!」
 劉備も、孔融の名は聞いている。気位の高い彼が自分にそこまでへりくだるとは…悪い気持ちはしなかった。むろん、本人の口上ではなく太史慈が考えたものだということは、劉備は、知らない。
「この危急をお救いいただけるのは、あなたさまのみにございます!どうか援軍を」
 きゅるきゅるきゅる。ぐー。
「・・・・・。」
 …あ゛ー!!!何も、こんな時にっ!!
 太史慈が、真っ赤になった。
 あの村を出てから、本当の使者にもし追いつかれたら大変だと、夜に日を継いで馬を飛ばしてきたのである。からっぽになった太史慈の腹が叫ぶのも、無理はなかった。
 しかし、場合が場合である。太史慈の腹の音は、援軍の要請に、非常な説得力を与えた。この大男、見れば窶れているようだし…
「まさか、城内では、糧食も不足して…」
 顔色を改めた劉備に、太史慈は、頷いてみせた。…というか、恥ずかしくて言葉が出なかったのである。
「判った!ただちに、援軍3000を遣わそう。支度が出来るまで、ともかく一息入れられよ。…益徳」
 おう、と、どんぐり目の方が頷いた。
「使者どののおもてなしを頼む。雲長は軍の方を…」

 …助かったあ…

 かくして。太史慈は、首尾良く援軍要請に、成功したのであった。



「しかし、すげえよな。一人で囲み斬りやぶって来たなんて!あー、こらひでえ。矛か何かでやられたな。」
 手当をされながら、まさか牛の角ですとは言えず、太史慈はひたすら沈黙している。
「これで馬乗ってくんの、辛かったろうに…」
 でも。正式の使者に追いつかれて大恥をかくのは、もっと辛かったから、頑張ったのだ。…そんなことは、言えないが。
「あんた、ほんとの豪傑だな!それにしても、どうやって囲みを破ったんだ…?」
「…毎日、敵陣の前で、弓の稽古をして…、油断させて…」
 まったくの嘘ではない。その的が、ウサギやなにかであって、ちゃんとした的ではなかったというだけだ。どんぐり目…張飛、字は益徳というらしい…の男が、感心したような顔になった。
「よし、終わったぜ!…にしても、その傷じゃあ…、援軍連れてくの無理なんじゃねえか?俺らが行ってやるから、ここで休んでたら…」
「駄目だ!」
 とんでもない。そんなことをしたら使者なんか出してないのがバレてしまう。太史慈は、慌てて首を振った。ここは、たとえ尻が潰れても、一緒に戻らなければ、立場がない。
「うん!それでこそ、漢だよなっ!!」
 張飛はいたく感心したようで。
 そこへ、みごとな髭の方…関羽、字は雲長というらしい…が、食事を持って現れた。太史慈の目が輝く。
 …喰い物だっ!
 飛びつきたかったが、この男、偉そうである。ちょっとお愛想を言っておいたほうが、よさそうだ。
「これは…、関雲長どの手ずからそのような!」
 関羽にしてみれば、太史慈は、食事にではなく、自分がわざわざ持って来たことに感動したように見えたから。太史慈の印象は、いっぺんに、よくなった。
「いやなに。単騎黄巾の包囲を斬り破った豪傑と、是非とも近づきになりたかったのでな…」

 二人にあれやこれやと聞かれても。本当のことがバレては、大変である。太史慈はおのずから無口になり…、それがまた、二人を感心させた。
 …なんと謙虚な男ではないか!口は重いが、いい男だ…

 誤解というものは、怖ろしい。
 食事が終わるころには、二人は、太史慈をすっかり、気に入ってしまった。





 考えてみれば、太史慈にとって、これは、初陣である。
 初陣ともなれば、普通は、恐怖を克服するのに苦労するとか、異様に昂奮するとか、あるいは緊張するとか…、まあ、何かあるものだが。
 牛に突かれた尻で、馬に乗って平原まで行き、そしてまた戻って来たのである。その痛いこと痛いこと。
 …尻が、痛いっ!!!
 怖いだの何だのと思っている余裕など、太史慈にはなかった。
「俺と二哥が突っ込むからな!あんたは援護してくれりゃいいからさ」
 幸いなことに、関羽・張飛が、「子義はいいやつだから応援に行く」と、ついてきてくれている。ありがたいと、太史慈は素直に頷いた。
 実際問題。軍の指揮を執れといわれても、そんなことはやったことがない。尻の方が気になるこの状況で、出来るものではなかった。
「よっしゃ!行くぜ〜っ!!」
 驚いたのは、黄巾軍。
 包囲が長引いたのと…、あの、太史慈の行動で。「あの城を落としても、喰い物ねえんじゃねえのか」と、士気が下がってきていた矢先である。そこに、凄まじい表情の大男三人を先に立てた、劉備の精鋭3000が、現れたのだ。
 …まずい!!
 関羽・張飛が暴れる。戟や矛が一閃するたび、人が倒れる。
 黄巾軍は、もう、逃げ腰で。
「すげえ…」
 張飛の怒号が響くたび、敵の一画が崩れる。関羽の髭が翻るたび、血飛沫があがる。太史慈は、尻の痛みも忘れ、思わずみとれていたが。
 …あ。
 城内から、歓声が湧き起こった。門が開き、籠城していた軍が、出て来る。
 …駄目だ!見とれてる場合じゃない!これじゃあ、あの二人だけが格好良くって、俺はただのおつかいってことになっちまう!!
 それは、格好が悪い。
 …よしっ! 
 太史慈は、槍(借りたのである)をしっかと握り直すと、二人の後を追って、一気に敵陣に突っ込んだ。
 それでなくとも馬鹿力な太史慈である。彼がヤケ半分に振り回す重い槍は、当たっただけで、人間ひとり吹っ飛ばすのに十分なシロモノで…
「お!やるな、お前」
「当然だっ!」
 張飛と、関羽と、太史慈は。思う存分、暴れ廻った

 …くっそー…、尻が…。あの牛のヤロー…

 ・・・・・自分がどれだけ凄まじい形相をしていたのか。太史慈は、知らない。

 ともかくも。
 三人の豪傑の大奮闘で。北海の城は、救われた。





 実は。
 戦の最中に、兵を連れるでもなく、一人ふらっと現れた太史慈のことなど、孔融はほとんど当てにしていなかったのである。
 気持ちが嬉しかったから、歓待はしたものの。姿が見えなくなったと聞いても、ほとんど気にも留めていなかった。
 それが援軍を連れてやってきたのだから…、孔融の喜びようは、ひととおりではなく。
「わが友よ!」
 入城せんと門に現れた太史慈を、孔融は、自ら手をとって迎えたのであった。
 しかし…



 それから暫く経ったある日のこと。
「あれ?子義じゃねえか?」
 平原城外。
 演習を終えて、城に戻ろうとしていた張飛は、とことこ馬を進めてくる人影を、見とがめた。
「おーい!子義!」
 馬を飛ばして駆け寄ると。やはり、太史慈である。
「お!久しぶり」
 にこにこと、太史慈が言う。
「あれ?お前、孔北海どのに仕えたんじゃ…」
「いや…」
 …冗談じゃない。あんな人のところにいて戦になったら…、また、腹が減る。
 仕えるんなら、ちゃんと喰わせてくれる人でなきゃあな。
 故郷(くに)に帰っておふくろにそう言ったら、「折角の機会だったんだよ!!それをフイにするたあどういう了見だい!!いつまであたしに養って貰えば気が済むんだこのゴクツブシ!」って、…放り出されちまったんだもんよ…
 しかし、母親ならともかく、張飛に「あそこにいたら腹が減るから」なんて、言うわけにはいかない。
「まだ…、修行中の身だから…」
 孔融に言ったのと同じ事を言って、誤魔化すと、張飛は感心したような顔になった。
「だったら、俺の兄者に仕えないか?」
「兄者?」
「おお、劉玄徳さまよ。…お前、戦場で、すっげえ働きぶりだったもんよ。二哥と俺と、それからお前と、三人揃えば怖いもんナシだぜ!なあ、そうしろよ!滅茶苦茶楽しかったろ、あの戦」
 …楽しいどころか。ひたすら尻が痛かったというのが正直な感想なのだが。
 しかし…
 …劉、玄徳かあ…
 ちょっと村長に似た、あの、感じのいい男を思いだし。太史慈が、微笑んだ。
 …関羽も張飛もいい奴だもんなあ。それもいいかも…
 戦場で、三人並んで、馬を駆る。自分と、どんぐり目の張飛と、そして、髭を風に靡かせる関羽と。それは確かに、心躍る光景で…
 心躍る…
 一瞬。うんと言いそうになったが。
 …いや待て。
 この二人と並んだら。…俺、全然目立たないんじゃ…?!
 関羽はもちろん、張飛のこのもじゃもじゃだって、すっげえ強そうに見えるじゃねえか。それに引き換え、俺の髭は…
「どうした?」
 期待を籠めて、張飛が、見つめている。その大きな目玉に向かって、太史慈は、首を横に振って見せた。
「…えー。なんでだよ…」
不満そうなその目に向かい、太史慈は、言った。
「髭が、伸びたらな」
 ・・・・・?
 そのうちまた訪ねると言い、にっこり手を振って、太史慈は南へと馬を駆る。
 その姿が、午後の陽射しの中、どんどん小さくなって…



「でさあ。『髭が伸びたら』って言って、行っちまったんだけどよ。兄者、それってどういう意味だ?あいつだって髭生えてんのに…」
「そりゃあ、益徳。髭が生えるのは一人前の男の証だろ?」
「…うん」
「自分はまだまだ半人前だ、まずは一人前の男になるのが先だって…、そういう意味だろうよ。なんと謙虚な。子義どのらしい」
 劉備は感心したように首を振った。
「実に、爽やかな、良い漢だ!もう一度訪ねて来てくれたら、今度こそは逃がすんじゃないぞ!」
「おうよ!首ねっこひっつかまえてでも…」





 …やっぱ、男は髭だよな!
 関羽のやつ、めちゃめちゃ格好良かったもんなあ。
 張飛にしたって、いかにも強そうだもん。…俺、あんま髭の手入れとかしてなかったからな。うっとうしくなったら適当に切ったりしてたし。
 う〜ん。見た目ってのも大事なんだなあ…。
 よし、俺も頑張って、髭を伸ばして…

 新たな冒険を求めて。太史慈は、南へと、馬を進める。
 劉備にすっかり惚れ込まれていることなどは、知る由もない、彼であった…





 

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