男の肖像
〜小説・太史慈伝〜

〔二〕太史慈はなぜ食べ物にこだわるのか

「隠すとためにならんぞ!!奴はどこへ行ったのだ!!奴がくにに帰ったのは、調べがついているんだ!!」」
 人相の悪い男どもが、ずらりと居並んで、すごんでいる。すごまれているのは…、太史慈の村の、あの、村長。
「いえ。確かに、こちらには一度立ち寄りましたが…、すぐまた出ていきまして。何でも、武者修行の旅に出るとか…」
「武者修行?」
 人相の悪い連中というのは、州の役所が差し向けた追っ手なのである。
「それで、どちらの方へ行ったのだ?」
「ええ。遼東の方に行くとかどうとか申しておりましたが…」
 なるべく遠そうなところで、とっさに思いついたのは、その地名であった。
「遼東だと…?」
「はい」
 うーんと考え込んだ男どもに、村長は、愛想よく声をかけた。
「いや、もうあの男には我等も手を焼いておりましてな。母親も縁を切るとか申しておりましたし…、ともかくおつとめご苦労さまでございます。ちょうど、昨日、猟師が猪を捕って参りましたので、…ご一緒にいかがですか」
 その猪を、誰が捕ったかを知ったら…、こいつらはどんな顔をするだろう。村長の目が、悪戯っぽく輝いた。
 それにしても。
 …うむ。慈が猪を持って来たのが、昨日でよかった…

 そう。
 太史慈は、村の裏山に籠もって、「武者修行」をしている最中であった。



 太史慈も、いきなり故郷に帰ってきたわけではない。
 初めは、本当に、人里離れた山に入って、武者修行だとばかりに槍や剣を振り回していたのである。
 しかし。
 武者修行は、腹が減る。
 木の実草の実で空腹を凌ぐにしても、…空きっ腹では、どうにも力が入らない。
 人里に降りて食べ物を買おうにも…、武器を抱えた人相の悪い大男がいきなり山から現れるのである。普通、人は、警戒して、家に閉じこもってしまう。下手をすると、山賊扱いされて、役人に追われる羽目になる。
 …ううむ。武者修行も、まず、食い物を確保してからだよな…
 というわけで。
 太史慈は、再び故郷に姿を現したのであった。

 故郷の村の連中は、お尋ね者が帰ってきたというので、真っ青になった。
 …こんな奴に居座られたら…、こっちにまでとばっちりが来るんじゃねえのか?!
「何しに帰ってきたんだい!このゴクツブシ!!あ〜ちょっと、うちの麦を持ち出してどうするんだいっ!!」
 あの母親はまたまた喚き立てたのだけれど。
「心配すんな、食いモノ貰いに来ただけだ!!俺は山に籠もって武者修行すんだから」
「武者修行だって?!またロクでもないことを…!!」
 母親の目が三角になった。
「どーせ山に入るんだったら、ウサギの一羽も捕まえてきたらどうなんだい!!お前って子はほんと役にたたないことばっかりして…」
 …ウサギ?
 そうだ!その手があった!!
 太史慈は、ぱっと目を輝かせた。
「ちょ、ちょっと、慈!!お待ちっ!!麦は置いてお行きーっ!!」
 …そうだ。
 剣や槍の修業をするから、腹が減るんだ!!
 弓や手戟の修業をすればいいのだ!!
 それは、木や何かを的にしていては駄目だが、どうせ、戦場では動くものが的になる。ウサギだのウズラだのを仕留めれば、腹もくちくなるってもんだ。山にいても喰えるようになれば、お袋にぎゃんぎゃん言われなくても済むじゃねえか!!
 これはいいことを思いついた!!


 と、いうわけで。
 このところ、太史慈は、すっかり猟師と化していた。


 村長が、太史慈をかばったのには、わけがある。
 最初の頃は、なかなか獲物を仕留められなくて、里に下りてきては母親に怒鳴られながら食べ物をかっさらって行った太史慈だが、そのうち、あまり姿を見せなくなった。
 食べ物がかかっているとなると、どうやら、修業にも気合いが入るらしい。腕が上がって、獲物を仕留められるようになったのだ。
 弓や手戟だけではなく、槍で川の魚も突けるようになった。…使い方が間違っている気はするが、ともかく、そうなると、今度は獲ったものが余るようになってくる。確かに、鹿一頭一人で食べるのは、いくら太史慈が大柄だといっても、時間がかかる。あまり長く置いていると、何といっても生ものだ。腐ってしまう。
 そこで、太史慈は、腕自慢かたがた、獲物を村に届けてくるようになったのだ。
 この前などは、猪を持って降りてきた。手戟を投げつけ、傷ついて倒れるところを、槍でとどめを刺したそうで。
 腕自慢を聞かされるのは鬱陶しいが、大人しく聞いて褒めてやり、山で獲れない野菜や麦を分けてやると、にこにこと山に帰ってゆくのだから、…これは、村の者が喜んだのも無理はない。食べた後の毛皮や何かにも、太史慈は全く興味がないようだが(食べられないからだろう)、これを町に売りにゆくと、これがまた、儲けになるのだ。おかげで、村の経済はすっかり潤い、食糧事情も飛躍的に好転していた。
 村の者が、彼をかばうのも、もっともなことであった。
 だから、それからしばらくして。
「太史子義どのは、こちらにおいででは…?」
 また別の…、こんどは穏やかな顔をした一行がやってきたときも、村長は、前と同じように、
「はい、こちらには一度立ち寄りましたが…、すぐまた出ていきまして。何でも遼東で武者修行をするとか…」
と、答えたのだが。
「…それは残念」
 この一行はどうやら、州の追っ手とは、別口らしく。代表して口をきいていた男は、心底残念そうな顔になった。
「わが主君が是非、太史子義どのにお目にかかりたいと申しておりまして…。あの、こちらにおいでになるようなことがありましたら…」
 是非、北海の孔融をたずねてきてほしい。
 …そ、それって…北海の太守さまのことじゃないのか?
 ということは、あの太史慈を、召し抱えたいということなのだろうか。
 目を白黒させている村長に、丁寧に挨拶して。金品を置いて、その一行は、穏やかに立ち去った。
 …北海太守さまというおかたは、珍しいものがお好きなのだろうか?それとも余程変わった趣味をお持ちなのだろうか…?
 ああいう人間を召し抱えても、ろくなことにはなるまいに。
 村長も、話を聞いた村の者も、…太史慈の母親も含めて、一様に、首を捻った。





 きゅるきゅるきゅる。
 …腹が減った。
 太史慈は、獲物を求めて、あてどもなく山の中をうろつき廻っていた。
 どういうわけか、このところ、全然獲物が見当たらない。この前村に降りたとき貰ってきた食料は、とうに、食べつくした。食べられる木の実や、山菜、川魚などで腹をふさげてきたが…、やはり、それでは腹が減る。
 …村に降りてえんだけどなあ。でもなあ…
 村の者は、当然自分が獲物を持ってくると期待しているに違いない。日頃さんざん腕自慢をしてきただけに、今さら、から手では帰れない。…大口を叩いたくせにやっぱりと思われては、格好がつかないではないか。
 …何かいるのは間違いないんだがなあ…
 ところどころに、動物の糞が落ちている。大きさからして、相当にでかい何かがいるに違いない。
「くそっ!」
 ぶんと槍を振って、傍らの薮を殴りつけた時。
 背後で。何やら、がざがさという音がした。
 …獲物かっ!!…
 弓に矢をつがえざま、素早く振り返ると。
 背後の、岩の上で、黄色と黒の縞模様の生き物が、背中を丸めて、今にもこちらに飛びかかろうと身構えている。
 …おおっ!!

 普通なら。
 虎が自分を狙っているとなれば、恐怖に身動きも出来なくなりそうなものなのだが。
 怖いと思うには。太史慈は、あまりにも腹が減っていた。

 …獲物だっ!!!

 おそらく。
 虎も同じように思ったのであろう。
 虎が太史慈を狙って跳躍するのと、太史慈が矢を放つのとは、殆ど同時であった。
 偶然というものは恐ろしい。
 空中にいた虎は、太史慈の矢をかわすことは出来ず。ぐわっと咆哮した、その、開いた口の中に、太史慈の矢が嘘のようにすうっと吸い込まれた。
 太史慈は、すばやく躰を捻ると、弓を捨て、槍を持って身構える。
 喉の奥を貫かれ、どさっと落ちた虎の躰を、太史慈の馬鹿力が、ぐさりと地面に縫いつけた。

 …やった!!肉が喰える!!

 念のために、手戟で、頭を思いっきり殴っておいて。
 間違いなく死んだのを確認すると、太史慈は、虎を担いで、ねぐらにしている洞窟へと引き上げた・・・・・

 だが。

 虎の肉は、おそろしく、まずかった。





 翌日。
 すごすごと、から手で村に戻った太史慈は、真っ先に自宅の厨へと向かった。
「どこほっつき歩いてたんだいっ!せっかく仕官の口がかかってたってのに!!」
 くだんの母親は、相変わらずで。
「…仕官の、口?」
「そうだよ!北海の孔融さまとかいうお方から、是非お目にかかりたいって。ほら、こんなに贈り物届けていただいたんだよ!」
 見れば。何やら見慣れぬ、美味そうな食べ物や、酒まで並んでいて。
 にたにたと伸ばした手は、ばしっと母親に叩かれた。
「なんだよお。俺は腹減ってんだぜ?」
「お黙り!獲物も捕ってこれないようなゴクツブシに喰わせる飯はないよっ!!」
「・・・・・ひでー!んなこと言ったって…ここんとこ虎がいたせいか、全然獲物見つからなかったんだもんよ。しゃーねーだろが…」
「虎だって?!」
 流石の母親も、これには、顔色を変えたが。
「おう。昨日仕留めたんだけどよ…」
「お、お前、虎、仕留めたのかい?!」
「ああ」
「…凄いじゃないか!!どこ?」
「へ?」
「持って来たんだろ?どこにあるんだい?」
「どこって…、虎って、不味いぞ?」
「・・・・・?」
 予期せぬ答えに、母親は、絶句した。
「あんな不味いもん、誰も喰わねえだろうと思って、捨てて来たんだけどよ…、かーちゃん、あーいうの好きなのか?」
 ・・・・・!!!!!

「この、馬鹿息子っ!!」
「うわー!!」

 虎の皮ってのはいいお金になるんだよ、あんなもの喰う馬鹿がどこにいるんだ、この大馬鹿者の役立たず、虎獲ったなんてのは嘘だろう、幾つになっても法螺ばっかり並べて、ちっとはマジメに働いて稼ごうって気にならないのかい、私にばっかり苦労させて…等、等、等。
 くそみそに怒鳴られ、空腹のまま放り出された太史慈を、村長が、苦笑しながら回収した。
「ひでえや…。俺ほんとに虎やっつけたんですよ、長〜」
情けない声でぼやく太史慈に、とりあえずメシを喰わせてやる。
 長の前では、太史慈も、昔の口数の多い彼に戻ってしまうようで。
「あーやっぱ普通の喰い物は美味いや!ね、長、虎なんて喰うもんじゃないですよ。ほんっと不味いですよ、何ともしれない匂いがして…」
 …まあ、虎には喰われることはあっても、喰うことはまずないだろう、普通。
 しかし、これだけ不味かったを連発するのだから…あれだろうなあ。ほんとに、喰ったんだろうなあ…
 長は、多少気味悪げに、目の前の巨体を眺めた。
「ねえ長、かーちゃんが言ってた仕官の話ってのは、何なんです?」
「ああ、それなあ」
 長は、顔を顰めて言った。
「今はちと無理なんだ。せっかく話があったのに残念だが…、それでおふくろさんも機嫌が悪かったのだよ。まあ、勘弁してやんなさい」
「…無理って?」
 太史慈の丸い目が、ぱちぱちと、瞬きをする。
「北海の方で、黄巾の連中が叛乱を起こしてな。今、孔融どのは、奴らと交戦中なのだそうだ。どうやら劣勢らしい。いや、お前が行っていなくて良かったよ。そんなところにお前がいるとなれば、儂らも心配…」
「交戦中!!」
 きらきらと輝いた太史慈の目に、村長は、不吉な予感を覚えた。
「おいおい、お前まさか…」
「当然でしょ?その人、おふくろんとこに喰い物とか届けてくれたんでしょ?」
「ああ…」
 それはまあ。
「だったら行かなきゃあ。恩ある人の苦難を見捨てたら、男が廃るってもんじゃないですか!」
俺はこの日のために腕を磨いてきたんだ、こうしちゃいられない、夜が明けたら北海に向かうと、嬉々として太史慈が言う。
 …まあ…、虎に勝てるんだったらたいていのものには勝てるだろうが…
 余計なことを言うのではなかったと、村長は、いたく後悔した。
 …孔融どのとやらも、気の毒な…

「けど、お前、…虎喰ったなんて、人には言うなよ?」
「・・・・・? なんか、変ですか?」

 きっぱりと、変だと言い切られ。釈然としないままに。
 薄気味悪そうな村人たちの視線に送られて、太史慈は、再び故郷を後にしたのであった。

 …けどなあ。喰い物がねえときは、あるもの喰わなきゃ、しょーがねえじゃねえか。
 まあ、確かに、虎は…あれは喰い物じゃねえみたいだったけど…、そんなの、喰ってみなきゃ判らねえじゃん。
 やっぱ、あれだよな。
 人間、喰うのが一番大事だよな…

 山で学んだ教訓を、しっかりと胸に抱いて。
 大きな躰が目指すのは、北海。

 太史慈が風雲を呼ぶ時が、いよいよ、近づいていた…







 

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