※この掌編は旧サイト76000打キリリク作品の再収録です
本編にこのエピソードを組み入れるのが難しかった為、こういう形で出させていただきました※
戦それ自体は、たいしたものではなかった。
ただ…、兵糧の用意が、間に合わなかったというだけで。
「何、途中にうちの荘園がある。そこで、用意させよう。」
さらりと言ったのは、公瑾どの。
「おう、なら心配ねえな」
にっと笑ったのは、俺の殿。
「私と子義殿の隊と。二つ分くらいのものはあるはずだ。任せてくれ」
居合わせた呂子衡(呂範)殿が、ちょっと変な顔をしたが、俺は気に止めなかった。
暴れに行くんなら、ちゃんと喰うのが一番。公瑾どのんとこで食い物用意してくれんなら、兵糧の心配はない。さすが、大豪族の子は太っ腹だ。俺らは、じゃあ、有り難く頂戴して、心おきなく暴れよう。…そう思っただけだった。
もし、小耳に挟んだ声がなければ、きっと、何も考えずに兵糧を受け取っていただろう。
そう。あの時。自分の隊の割り当てを受け取りに行った蔵の傍で聞いた、あの声がなければ…
「公瑾さま、しかし、お兄上のお許しがなければ…」
声は、何やらせっぱ詰まったような、ひどく悲しい色をしていた。
その声に、公瑾どのが軽い調子で答える。
「許す?どうせ兄上には判りゃしないさ」
「しかし…」
…あれ?この蔵って…、公瑾どののじゃないのか?兄上のなのか?
「おい」
俺は、連れていた校尉…山越あがりの祖志という男だ…を、振り返った。
「公瑾どのって兄貴いるのか?」
「知りませんよ、お偉方のことなんか」
けれど。兄がいるのなら、この蔵の中身は、その、兄上とやらのものに違いない。だよな?家の跡取りは長男だもんな?
そっか。
それであんとき呂子衡殿、変な顔してたのか!
「だいたい許しも何も、兄上とは、話も何も出来ないじゃないか。あんな病気で…」
…おい?
「公瑾どの!それはあまりに…」
…おい、兄上ってのは…病人なのか?ちょっと待てよ、んな、…
「人の顔も判らないような人間に、こんなにたくさん米が要るものか。私たちで有効に使ってやれば、米だって喜ぶ…」
「公瑾どの!」
人の家の中のことなんて、他人が口を出すもんじゃない。けど…そんとき俺は、思わず声を掛けたんだ。
「公瑾どの、これって…兄上の米なのか?」
「ああ」
きれいな顔が、にっこり笑う。
「一応そういうことだが、…なに、兄はこんなに要らないのだから、気にしなくていい」
「要らないって…けど、人のもんだろ…」
いくら実の兄でも、そらあんた、、まずいだろ?だいいち
「兄上って、ご病気なのか?」
「病気というのか」
公瑾どのが、肩を竦めた。
「ほら…菫卓の死後のごたごた。あれに巻き込まれて、大怪我をしてな」
躰も不自由だし、頭の方も、まあ6歳児といったところだし。
…そんな悲しいことを、顔色ひとつ変えず、冴えたその声でさらさらという。
管理人らしい男が、その横で、唇を噛んでいた。…そうだろう。それがまともな反応だろう。
「だから、…兄が持ってたところで、宝の持ち腐れなんだから、…伯符のために役立てた方が」
…他人の俺の腹も、煮えくりかえってんだから!
「要らねえ!」
「…子義どの?」
「んな米が、喰えっか、馬鹿野郎ーっ!!」
冗談じゃない!
俺は男だ。
いくら腹減ってるったってお前、病人の上前はねるなんて…、んな格好悪いこと、出来っかよ!!
「あんた、鬼かよっ!」
ぽかんとしている公瑾どのを置いて、俺は、自分の兵のところに引き返した・・・・・
祖志の奴は、兵の信頼がどうとか上の立場がどうとか、ややこしいことを言っていたけれど。俺はそういう…なんての、口先で誤魔化すってのは、苦手だ。
自分の兵を集めると、すっぱりと事実を告げた。
ここの米は公瑾どのの兄上ので、今喰うと無断で喰うってことになって、で、しかもその兄上はご病気で…
「悪い!けど…、病人の上前はねるみたいなみっともねえこと、出来ねえ。…だから、兵糧は…」
兵たちが顔を見合わせた。皆、今日の行軍で腹が減っている。メシがねえってのは…そら、嬉しくねえわな…
「お前らも覚えあんだろ」
なんだかんだ言ってたくせに、横から助け船を出してくれたのは、祖志。
「ほれ…、ここに来る前よ。俺らあ、山越だから…」
働き手が病気になって、税を納めることの出来なかった家。ずかずかと、家の中まで踏み込んできて、金に換えられそうなものは洗いざらい奪い取っていった、漢の収税吏。
俺の軍には、山越あがりの連中が多い。そいつらがまた、顔を見合わせた。
「そいつらの理屈、覚えてんだろ?山越にこんな贅沢なもんは要らねえ。どうせ宝の持ち腐れなんだから、漢朝の為に役立てる…」
「…そだ。それで俺の牛、持ってきやがった」
一人の兵が、ぼそりと言った。
「山越さんだけの話じゃねえよ」
口を出したのは、漢族の兵。
「俺も、見たよ。隣の爺さんだったが…、病で金が返せなくなってな。あの因業金貸し、病人の布団まで剥いでいきやがった。…どうせ死ぬんだ、持ってたって無駄だとかぬかしやがってよ…」
「…そうだ。ここで米貰ったら…、俺らも、あの鬼畜野郎どもと、一緒になっちまうよな…」
ざわざわと、同意の声が広がる。俺の胸が、熱くなった。
「なに、…明後日は敵とぶつかる。俺があいつら、皆殺しにしてやる。そして、あいつらの溜め込んでた喰いもんは、この太史隊が全部頂戴しよう。そしたら腹一杯食おうぜ、だから…」
そう、言ったら。
「子義さんだけにやらせやしねえよ」
兵の中から、声が上がった。
「みんなで突っ込もうぜ!んで、戦利品全部頂戴しようや!」
「そうよ!周隊なんぞにやってたまるか!」
「なあに、二日くらい喰わなくたって、どうってこたねえ!もっと辛い目、何度も見てきたんだ」
ああ。
なんて連中だよ、全く…
「お前ら…」
「あの…」
振り向けば。そこにはさっきの、管理人らしい男。
何人かの男たちが一緒だった。それぞれ、手に、何かの袋を、抱えていて…
「いらねえって言ったろ!」
俺の声が、尖る。
「いや」
しかし、…管理人は、首を振った。
「これは、お館の分じゃあねえ。あたしらの蓄えです」
差し出された袋は、さっき見た俵とは違って、ずいぶんみすぼらしいものだったが。
「あたしらのだから…、米ばっかじゃねえ、粟やら稗やら混じってますけど…、喰ってください」
「おい」
「これだけありゃあ、二日分くらいにはなるでしょう」
おい。ちょっと、待てよ。
「いいのかよ。これ…、出しちまったら、あんたらが…」
これは、この冬を食いつなぐ、貴重な食い物の筈で…
「嫌だぜ、俺。んな…俺らは腹膨れても、あんたらが腹減ってるってんじゃ…」
背後で、兵たちが頷く気配。
「大丈夫ですよ。これは、非常用のだから」
管理人が、微笑んだ。
「あなたの軍になら、差し上げてもいい。みんなそう思ってます」
男たちも、笑って頷く。
「しっかり食べて…、手柄立ててください」
なんか。
泣けそうになった・・・・・
え?
ああ、喰ったよ。
腹一杯喰わせてもらって、で、敵さんには、しっかり痛い目見てもらった。
あいつらのためにも、頑張らなきゃな、うん。
大活躍したのは、俺の隊だ。ふん。周公瑾隊なんぞに、遅れを取ってなるもんか。
あいつは…鬼畜だ。綺麗な顔して、あの、周公瑾て男は。
殿の義兄弟だか何だか知らねえが…、俺はもう、生涯、あいつとは口利かないからな。
働けないほどの病人の財産掠め取ろうなんて、最低の男だ、あれは。
いくらおまえ、実の兄だからって…、そんな、格好悪い・・・・・
周公瑾から話を聞いたらしい殿には、怪訝そうな顔をされた。
「喰えばいいのに。気になるんなら、敵から分捕った戦利品で、返してやりゃあいいじゃねえか」
「そらまあ…、殿はそれでいいですけどさあ」
この軍では、戦利品は全ていったん殿のものとなり、そこから手柄や何かに応じて配分される仕組みになっている。許されるのは、こっちの兵糧が尽きてる時に、敵の兵糧を奪って食ったという場合くらいのもんだ。
つまり…、俺の貰う取り分じゃあ、弁償しきれねえってこと。返そうにも、俺の立場じゃあ、返しきれねえんだもんよ。
「ま、いいけど」
殿が、陽気な笑顔になった。
「お前らしくて、いいや、なあ。お前のそゆとこ、好きだぜ、俺は」
ぽんぽんと、俺の肩を叩いて、笑いながら殿は行ってしまった。
呂子衡どのにも、言われた。
「喰えばいいじゃないか。ああいう豪族連中は、小作人が病気で働けなくなったら平気で叩き出したりして来てんだ。日頃いい目を見ている奴なんか、庇ってやることはないじゃないか」
…ま…、そういう考え方も、あるかもしれないけど…
うーん。
このひと、何か金持ちに恨みでもあんのかなあ。いつも「どうだ」って言わんばかりの、派手派手しい格好してるけど…、元はどっかのチンピラだったとか言うしな…
「あれだぞ、普通の家だったら、当主がそんなふうになっちまったら、一家揃ってとうに飢えてるぞ?金持ちなんだ、蔵のひとつやふたつ貰ったところで…」
「いや…そういう問題じゃなくて」
そう。
その蔵を貰ったら、その…周公瑾の兄上とやらが飢えるとか、そういうことを言ってんじゃなくて…
「なんかほれ、格好悪いでしょ?」
笑うか?
笑うかよ、そこで!!
「お前さんらしい」
だよな。格好悪いよな。
そう言って、また、子衡どのが笑う。
「けどなあ…、それで押し通すところがやっぱ、お前さんらしいよ…
人の数だけ、生き方がある。
人の数だけ、考え方がある。
殿は殿の立場で、ものを言う。子衡どのがああいうのにも、子衡どのなりの理由がある。
周公瑾にも、周公瑾なりの理由があってああしたのかもしれない。
どれが正しいのかなんて、そう簡単に決められるもんでもないだろう。
だけど、俺は、俺だ。
俺には俺のやり方がある。俺には俺の生き方がある。
俺は、格好悪いことは、しないんだ。
「それでいいんだよ、なあ?」
そう言ったら、祖志は笑った。
「それでこそ子義さんですよ」
「お前のそゆとこ、好きだぜ、俺は」
「それで押し通すところがやっぱ、お前さんらしいよ…」
それでこそ、子義さんですよ。