Act.4
〜A.D.215 益陽

「弓腰姫っ!」
 怒鳴るように、呼び立てられて。
 窓の外から視線を戻せば、怒り狂った無頼の男。
「あんた、正気かよ?!あいつを、一人で行かせたってえ?」
「ええ・・・」
 仁姫は怪訝そうに眉を寄せた。
「何そんな怒ってるの?わたくしが止めて聞くような子敬でもないでしょう?」
「にしたったよお!一人で関羽と談判ってお前、殺してくれっつってんのも同じじゃねえか!」
 甘寧が荒い口調で怒鳴った。
「そりゃあよ、関羽本人は立派な豪傑かも知れねえ。けど周りのモンはどうなんだ!そこまであんただって保証できねえだろうが!あいつにもしものことがあったら」
「同じことでしょ?」
 ふわりと口にされたのは、怖ろしい言葉で。
 甘寧の声が、はたと止んだ。
「どうせ、長くない人よ。」
 誰もが口にするのを避けていた現実を、仁姫は、あっさりと口にした。
「だったら、好きなようにさせてあげたいじゃない。好きにさせて…、それでもし、死ぬようなことになっても、あのひとがそれでいいなら、わたくしは、いいのよ」
 そう言いながらも、仁姫の視線は、窓の向こうに張り付いたまま。
 遠ざかる、一頭の馬。魯粛を…彼女の愛する男を乗せて、関羽の陣へ。
「…ほんっとあんた、可愛くねえな。何考えてやがんだよ」
 承淵の言う通りだと、憮然として甘寧は呟いた。
「失礼ねえ」
 くすくすと、仁姫が笑う。
「でも、人生、後悔ないのが一番だと思わない?」
 眩い夏の陽。床に落ちた影が濃い。
「死ぬときにね。自分の人生これでよかったって、そう思って死ねたら…、ねえ?」
 それ以上に幸せなことなんて、あるのかしら。
「けっ。何言ってんだよ」
 毒づいたのは。
 その言葉が何故か胸に突き刺さるような気がしたから。
「そもそもお前ら後悔なんて出来んのかよっ!後悔するようなしおらしい性根がありゃあ、一人で関羽んとこなんざ行かねえだろが!」
 ぷっと。
 弾けた、笑い声。
「違いない」
 楽しそうに、仁姫は笑った。
「違いないわ、興覇」



 そう。後悔なんて。
 後悔なんてわたくしたちには似合わない。
 自分に出来る全てのことを、精一杯やって、やりきって…。
 もう、それでいいじゃない。
 ねえ。子敬・・・・・
 


 儂の目の前に、関羽がいる。
 一人で来るとは良い度胸ですな、と、戦場で嗄れた声が静かに言う。
 静かなだけに不気味な口調。てこでも動かぬ決意と知れた。
 無駄なのは、判っていた。それでも、来ずにはいられなかった。
 出来るだけのことはしたのだと、自分を納得させるためだけにでも。
 危険? んなこたア承知の上さ。だが、あのまま、病床に横たわっていても、長くは保たねえ躰だ。だったら、せめて精一杯やって、納得して、死にたいじゃねえか。
「今日は、貴殿に、兵を引いてくださるよう、お願いにあがった」
 動かぬ巌のような顔に向かい、投げた言葉は儂の為。
 ずっと抱き続けた夢の為に、…そう、これが、最後の努力。
「この荊州は、もともと、我が殿が、戦いに敗れて身を寄せて来られたあなたがたを憐れんで、慈悲のお心で貸し与えられたものだ。長坂での敗戦の後、あなたがたの軍がどのような状態であったか、それはそちらの方がよくご存じであろう。身の置き所さえない有様であったではないか!」
 巌のような顔を過ぎった、ほんの微かな苦渋の色。
 それにさえ希望を抱きたい儂。へっ。ガキみてえだよな。
「それを。今、益州を得られたにも関わらず、土地を返そうともなさらない。せめて南部の三郡をというこちらの申し入れにも応じて頂けない。これが、徳の将軍と謳われる、あなたの兄者がなさることなのか?!」
 何か言いかけた関羽を、誰かの野次が、遮った。
「そうとも、殿は徳の将軍だよ!土地は、徳のある者につくんだ、なあ?」
 どっと湧き起こる、嘲笑。
 覚悟はしてたがアタマに来た。怒鳴り返してやりたいと思った。
 だが、駄目だ。それじゃあ話にも何にもならねえ。あんなくだらん連中と同じトコまで身を落としちゃならねえ。
 判ってて来たんだろ。判ってて、それでもやってみたくて、来たんだろ。
 堪えろ、魯子敬。
 関羽の顔が真っ赤になった。
「黙れ!お前らに、何が判る!!」
 戦場で鍛えた声が兵どもを一喝した。周囲が、しんと、静まりかえる。
「子敬どの」
 その声が、急に沈んだ。
「あなたの言い分は、判る。だが・・・我らは・・・」
 太い眉の下で、でっかい目が光る。
 その、光は、・・・・・。
 自分の気力が萎えるのが判った。
「わかってくだされ、子敬どの。兄者も、もう、年齢だ。これが、最後の機会なのだ」
 漢室復興という夢が。この、荊州に、かかっている。
 兄者の夢を、かたちにしたいのだ。兄者を、天下に号令する者に、したいのだ。
 問わず語りに告げてきた光。ああ、そうだ、その光!
 東呉に仕えるようになってから、うんざりするほど見せつけられた、それ。
 熱に浮かされたような、魂でも奪われたような、…儂をさんざん苦しめた、それ。

 もう、いい。
 もう、たくさんだ!

 何を言う気も、しなくなった。
 沈黙のまま、踵を返し、馬に乗る。
 馬の背が、ひどく、高く思えた。
 もう、嫌だ。何もかも、嫌だ。
 畜生。…畜生!
 俺の、夢を。よくも…。

 弓腰姫!・・・・・



 芦毛の馬がまっすぐに、関羽の陣に向かって走る。
 騎手は、白い軍装の女。
 供も連れずに、ただ一人、髪を靡かせ、颯爽と。…だが、常は晴れやかなその顔に、気遣わしげな影がある。
 道の半ばまで来たところで。女…、仁姫は、手綱を緩めた。
 前方からとぼとぼとやってきた馬。打ちひしがれた男を乗せて。
 いつもの豪気さはどこへやら。地面に落ちた視線が痛い。
 仁姫が、ふっと笑った。
「子敬」
 ぎょっとしたように顔を上げた魯粛が、信じられないというような目をした。
「弓腰姫?」
 生気のなかったその顔を、さっと、喜びの光が照らす。
「何やってんだこのあばずれ!一人でこんな所まで来やがって!」
 けれど、口を衝いて出るのは、いつもの悪罵。
 仁姫が、楽しそうに笑った。
「あら、心配してくれるの? …悪い気はしないけど、どうせならもうちょっとそれらしく…」
「心配なんざしてねえよっ!何だよったく、口の減らない・・・・・」

「そう思うんなら何で呼んだのよ」

 明るい声に不意を突かれて。魯粛が、丸い目をさらに丸くした。
「な・・・・・。聞こえるわけ、ねえ…」
「でも、呼んだでしょ。聞こえたもの」
 子敬が自分を呼んだ気がして。矢も楯もたまらず、飛び出して来たのだ。今頃は、甘寧あたりが、カンカンに怒っているだろう・・・・・
「ああ…、呼んだよ。呼んだけど…、何で、判るんだ?」
 咄嗟には罵る言葉も思いつけなかったか。珍しく素直な答えが返る。
「それは」
 仁姫が、軽く頬を染めた。きれいだと、魯粛は思った。

「惚れてるからじゃない?」

 さらりと言われたその言葉と、お天道さまのような明るい笑顔が。
 …もう、いっか。…な。
 魯粛の怒りを口惜しさを、きれいさっぱり、拭っていった。
 
「違うな」

 少年のような無邪気な笑みで、魯粛、魯子敬は、きっぱりと言った。

「儂が、惚れてるからよ。愛の力ってやつだ、なあ」

「…愛の、力あ?」
 仁姫の頬が真っ赤に染まる。魯粛が笑う。陽気に笑う。
「呆れた人・・・・・!」
 夏空に響いた笑い声。男の声。女の声。
 身分もない。立場もない。まるで少年と少女のような・・・・・



 儂の夢は、あんたに潰されたけれど。
 こんないい女が手に入ったんだから、ま、いいか。
 あんたの妹。ほんとに、いい女だぜ。
 なあ。
 孫、伯符―――



「ったく、てめエらは!俺に手間アかけるために生まれてきやがったのかよこん畜生っ!」
 益陽の城門を潜るやいなや、甘寧の罵声が飛んできた。
「単騎で敵陣に乗り込もうってなアいい度胸だけどよ、子敬!てめエは、司令官だろうが!」
「まあ、そう言うなって、興覇」
 にたにたと魯粛が笑みを浮かべ、甘寧が、お、という顔になった。
 仁姫が差し出す手に無造作に手綱を投げ、魯粛が建物に入ってゆく。
 問いかける目になった甘寧に、ちょっとはにかんで、仁姫が笑った。
「これ繋いで、夕飯の支度してくるわ。その間、あのひとをお願い。…結構疲れてると思うのよね」
「え…、ああ」
 言われてみればその筈で…、慌てて甘寧は魯粛を追った。
「おい、子敬!」
「あ?」
 答えた、妙ににやけた顔。
「お前ら…そうなのか?」
「まあな」
 嬉しそうに頷いた魯粛は、けれど、どこか寂しそうにも見えた。
「儂の夢を叩き潰してくれたんだから、妹の一人くらいくれたって、罰は当たらねえと思うぜ」
 風が吹くような声が、さらりと言う。
「子敬…、誰の話だ?」
「関羽は、ありゃあ、駄目だよ」
 明後日の方向に、話を振って。
「あいつの目には、劉備しか、見えてねえ。とことん惚れこんぢまってんだな、可哀想に」
「子敬」
「人間は所詮、人間なんだ。神サンじゃねえ。んなもん偶像にして、どうすんだよ。てめえの夢は、てめえで見なきゃ、なあ?」
 歩調に合わせて揺れる背中が、何故か、小さくなったように見えた。



 自室に戻り。疲れた、と言って、魯粛は、いぎたなく、牀にひっくり返った。
「着替えろよ」
「面倒くせえ」
 丸い目が、どこか優しい光を湛えて、天井を見上げる。
「なあ、興覇…・、そうなんだろ?」
「何が」
「この国、駄目にしたヤツ。あの、兄貴だろ?」
「まあ、そうとも言う…かな…」

 あの、兄貴。
 孫策。討逆将軍、孫、伯符。江東の、小覇王。


 孫策のことを語る時。誰の目も、熱く光った。今日、関羽の目に宿っていたあれと、同じ光。
 あれを見た時、やっと判った。
 この東呉にかけられた、魔王の呪縛。
 誰もが彼に魅せられ、彼を偶像に祀りあげた。その偶像が砕けた時、誰もが代わりを、殿に求めた。
 殿は、殿だったのに。殿は、儂と一緒に、海の夢を見る人だったのに。

 みみっちい領土の取り合いなんざつまらねえ。どうせなら、海に出よう。
 異国との交易で国を富ませよう。どこよりも豊かな国を作ろう。中華の統一? んなもん勝手にやらしとけ。長江さえ確保すれば呉は安泰だ。
 中華なんざ、狭い狭い。天地はもっと広いんだ。天竺、安息、そうして大秦。その先にもまだ国があるかも知れねえ。海はどこまでも続いてる。
 しょうもない土地の為に殺し合いするより、交易の方がよっぽど面白いぜ? そうしてどこより豊かな国が出来たら…、そんときゃあんたは、海の王だ。

 儂は見たかった。まだ見ぬ国々を見たかった。けれど一介の商人じゃあ、出来ることにも限度がある。
 だから欲しかった。大きな船が欲しかった。いい港が欲しかった。自力じゃ出来ねえなら作らせるまでだ。
 誰に?
 殿に、さ。
 何も悪い話じゃねえ。詐欺でもなんでもねえ。
 殿は平穏で豊かな国を作りたがってた。戦なんかしねえで、民が安心して暮らせる国を作りたがってた。
 いにしえの楚の荘王だか何だかになりてえって言ってたじゃねえか。
 そらあそうも思うだろうさ。考えてもみなよ。あの人の親父も兄貴もお前、戦がらみで死んでんだぜ?
 交易で国を富ませてゆきゃあ、あの人の望み通りの国が出来たんだ。戦なんかしねえでも、皆の暮らし、豊かに出来たんだ。
 だから俺たちは手を組んだ。手を組んでここまでやってきた・・・・・ 

 そうさ。
 元を正せば、何もかも、儂の夢の為だったのさ。
 長江の制水権を確保し、東呉の安全を守ろうとしたのは、…国の為じゃねえ、儂の、夢の為さ。
 けれど。殿は。
 魔王の呪縛に、手足を縛られ。欲しくもない天下の為に踊らされ。
 儂の、夢は―――
 
 あーあ。何だってんだろうな。
 なんかもう、忌々しいとも悔しいとも思えねえんだよな。
 ただ。
 腹の底を風が吹き攫ってゆくような、…なんかそんな気がするだけで。


「東呉になんか、来るんじゃなかった」
 夢を叩きつぶされた男にかける言葉など、甘寧には、持ち合わせはない。
「何言ってんだよあんないい女手に入れといて」
 そう言ってやるのが、せいぜいのところで。
「そうだな。それだけでも、来た甲斐が・・・・・っ?」
 魯粛ががばりと身を起こした。
「興覇、まさか、お前」
「違う違う。いるんだよ、俺にゃあ。最高の女ってヤツがさ」
 くっと、甘寧が、喉で笑う。
「心配すんな。手エなんか、出さねえよ」
「そうじゃねえよ。お前の獲物、取っちまったかと思ってさ」
 照れたように言った魯粛が、また仰向けにひっくり返った。
「なあ」
「ん?」
「いい女か?その、お前の・・・」
「ああ。あんな女は二人といねえぜ。そうさな、・・・天の女王って、感じかな」
「へえ」
 魯粛の丸い目が、さらに丸くなる。
「拝ませて、もらいたいもんだ」
「そいつはちょっと、無理、かな」
 甘寧の笑みに、苦いものが混じった。
「獲物っちゃあ獲物だったんだが…、殺しのな、的だったのよ」
「え?」
「俺が命令された殺しのよ」
 ぎらりと光った細い目が、すうっと遠くに吸い寄せられた。


 あったんだよ。益州には。
 暗殺者育てる為の村ってのが、なあ。
 俺はそこで育った。自分が何習ってんのかも判らねえまま、人殺しの業だけを、教えられて育った。
 でな。与えられた最初の仕事ってえのが、馬車を待ち伏せして乗ってるヤツを殺すってもんだったのよ。
 正直それで初めて判ったようなもんだ。俺ア人を殺す為に育てられてきたんだって、な・・・・・

 あの日も。益州の空は、どんよりと重くかった。
 その空の下。護衛もない一頭立ての馬車が、がらがらと山道を走ってきた。
 木の上に潜んだ俺は、まず、得意の弓で御者を狙った。
 悲鳴をあげて転落した、男の躰。俺が…初めて、殺した、男。
 あれから何度も戦に出て、どれだけ人を殺したか自分でも判らねえが…、馬の蹄に巻き込まれたあの男の最期だけは、どうしても、目に焼きついて、離れねえ。
 御者台に飛び降りて、馬を制して。匕首を抜き、馬車の扉を開いて。
 一刺しにするはずだったのに。

 まともに俺を見据えたのは…、そりゃあ綺麗な瞳だった。
 女だよ。怯えるどころか…、しゃんと背筋、伸ばしてな。威厳ってなあああいうのを言うのかね。
 なんだかなあ。その馬車ン中だけ、この世とは別の世みてえな気がしたのよ。
 真っ白で清らかな柔らかい光が、女から滲み出て、馬車の中まで溢れてるような…そんな具合でなあ・・・・・

 そうよ。
 俺は、出会ったのよ。
 天の、女王ってヤツに。

 あんなに怖ろしいと思ったなあ、あとにも先にも、あれきりだ。
 どんなすさまじい戦の中でもびびったことなんざねえ俺だが、あン時だけは…別だった。
 人間が踏み込んじゃならねえ聖なる場所に間違って踏み込んぢまったっつうかよ。
 自分のやろうとしてたことがどんなに非道なことなのか、こう、彼女見ただけで、判っちまったっつうか。
 こらもう雷でもが落ちてくるに違いねえ、俺は真っ黒焦げになって死んぢまうんだ…、そんなことが頭に閃いてな。
 竦んぢまってもう、ぴくりとも動けなくなった俺に、あの女は、こう、言ったんだ。

「劉州牧のところの方ね。わたくしを殺せと命じられたの?」

 きれいな声だったよ。
 柔らかくて。深くて。どこまでも…静かで。
 判るか。春の光に音がついてんなら、こんな感じだろうって、そんな声よ。
 そしてな。俺の方に手を伸ばして来た。白い手だった。白い、白い…。

「その匕首を貸して。死んであげますから。それであなたは叱られずに済むし・・・わたくしの国のためにも、その方がいいの」
 まるで、何でもないことのように。穏やかに、彼女は言った。
「でも、約束しなさい。こんなことは二度としないと。こんなことを強いる君主に、仕えることはありません」
 あなたは、まだ若い。魂を汚しては、駄目、って・・・・・


「わたくしの国?」
「五斗米道の教母だったらしいぜ。…あとで、知ったんだけどな」
「殺ったのか?」
「殺れっかよ」
 くっと笑った甘寧が、肩を竦めた。
「尻尾巻いて逃げたよ。けど、ほれ、初めてだっつったろ? しくじっちゃまずいってえんで、仲間…っていうよりお目付だな、そういうのがいてな…」
 あの女はそいつに殺られたのだと、低い声が、重く澱む。
「俺も殺られるとこだった。…しくじったヤツは生かしちゃおかねえ、それが決まりだったからな。けど…、嫌だった。冗談じゃねえと思った」
 俺を人殺しの道具に育てた連中の為に、何で俺が死ななきゃならねえんだ? 悪いのは、非道なのは、あっちの方じゃねえか!
 細い目を凄まじい光が走った。
「だからよ。その、目付役殺して、仲間、抜けて・・・・・」
 今度の笑みは、自嘲の笑み。
「ま、それでも賊にしかなれなかったけどな」
「なんで…。それこそお前、軍にでも入れば…」
「そういうとこが甘いんだよ、子敬は。連中が、仲間抜けたヤツに追っ手かけねえわけ、ねえだろが」
 殺し屋の顔ぶれや手口がバレちまったら仕事にならねえだろと、甘寧が嗤う。
「俺なんかのために、せっかくまっとうに生きてるヤツら巻き込むなんて、…出来っかよ」
「興覇・・・・・」
「軽蔑すっか? こんな男…」
「馬鹿言え!」
 いつかしゃんと起きあがっていた魯粛が、何とも言えない笑みを浮かべた。
「すげえよ。…お前ほんと、すげえ。人巻き込まずに済まそうなんて、…なかなか思えるもんじゃねえって」
「いや…」
 照れたのか。甘寧の鼻に皺が寄った。
「儂なんざ、てめえの夢のことだけ考えて生きてきたのに。人の気持ちもなーんも考えずに…」
「何しおらしいこと抜かしてんだよ。それで後悔してねえくせに」
 魯粛が、苦笑した。
「廻りの人間こまごま思い遣る魯子敬なんざ、もう、魯子敬じゃねえよ。血迷ってンなこと始めてみやがれ、天候不順で百姓が苦しむ」
「ひっでえ、なあ」
「しょうがねえだろ、口の悪くねえ甘興覇なんざ甘興覇じゃねえんだ!」
「…違いねえ」


 そう、だな。
 儂は儂。興覇は興覇。
 思い通りに生きてきた。ひたすら夢を追ってきた。
 確かに夢は叶わなかったが、惚れた女も手に入れた。
 儂は儂を精一杯生きてきた。…それでいいじゃねえか。なあ、魯子敬。
 後悔なんざ。
 後悔なんて儂には似合わねえ。
 やるだけやったんだ。もう、いいさ。なあ・・・・・


「違いねえな、甘興覇」

 晴れ晴れとした顔で、魯粛は笑った。